阿蘇外輪山の麓(ふもと) 日本の財産に出合う
〜熊本県小国町・南小国町と阿蘇おぐにウィンドファームを訪ねて〜
藤岡 陽子
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J-POWER阿蘇おぐにウィンドファームは、阿蘇カルデラ内に位置する熊本県阿蘇郡小国町(おぐにまち)と南小国町にある。国内有数の温泉地であり、ブランド杉・小国杉の産地として知られる小国町、南小国町を旅して歩いた。
小説家 藤岡 陽子/ 写真家 かくた みほ
世界最大級のカルデラ地帯押戸石の丘にある巨石群
どこまでも広がる草原に目を奪われた。360度、どちらを向いても瑞々(みずみず)しい緑が続いている。風が吹くとその緑は大きく波打ち、光の加減で色を変える。
草原のずっと先に見えるのは阿蘇五岳(あそごがく)と、大分県との境を教えるくじゅう連山。世界最大級のカルデラ、阿蘇の景色の壮大さは想像をはるかに超えていた。
この場所に立っていると自分もまた緑に染まっていく。そんな錯覚を覚えるほどに、標高845mの押戸石(おしといし)の丘から眺める景色は美しかった。この丘は阿蘇カルデラ北側に位置する南小国町にあり、大小300あまりの巨石群が散らばるパワースポットとして観光の名所になっている。丘の名称にもなっている押戸石は不思議な磁気を発することでも知られ、方位磁針を手に持って近づくと、針の方向が定まらずくるくると回った。
阿蘇山の噴火は、いまから27万年前から9万年前にかけて4回起こったとされる。カルデラはその巨大噴火によってつくられ、また、山から出た火砕流が堆積し、長い歳月を経て浸食され、いまのなだらかな台地となった。巨大なくぼ地でもあるカルデラの周囲は128kmほどに及び、その中では現在約5万人の人々が暮らしている。




北里柴三郎博士の生涯 医学に懸けた情熱と誠意
押戸石の丘からの景色を満喫した後は、小国町で生まれ育った北里柴三郎博士の功績を伝える施設、北里柴三郎記念館を訪れた。
館内を案内してくださった時松ひさ代さんは地元の方で、小学生の頃は年に一度、博士のお墓参りをするために記念館の裏山に足を運んだという。
「庄屋の長男ということで、北里先生を裕福な家庭に生まれた恵まれた人だと思われるかもしれません。でもそうではないんです。熊本医学校に通われていた時は新聞配達を、東京医学校時代は牛乳の品質検査をして生活費を稼いでおられました。その際実家からの仕送りは一切ありませんでした」
9歳の時に父方の伯母の元に、10歳で母の実家に預けられ勉学に励んだ博士は、まだ幼かった弟と妹を感染症で亡くしている。その時の悲しみがあり、少年期の博士は医者と僧侶を恨んでいた。だが次第に自身の手で医学を進歩させたいという思いを固め、研究の道を猛進していったと時松さんは語る。
36歳で留学先のドイツで破傷風菌の純粋培養に成功。
37歳の時に世界で初めて血清療法を確立し、破傷風毒素に対する抗血清を開発。
41歳でペストの病原菌を発見。
博士の軌跡をたどると、その活躍は眩(まぶ)しく華々(はなばな)しい。だが記念館に展示された直筆の手紙や自ら思案してつくった嫌気性菌培養装置などから、功績の陰に地道な努力があったことがわかり、簡単に偉業を成し遂げたのではないと知る。
「北里先生は国民の健康を第一に考えておられました。当時は字が読めない人も多かったので弟子に絵を描かせ、病気の予防方法を伝えるような工夫もされていました」
戦争の影響で体温計の輸入が困難になると、「これでは国民の健康を守れない」と自ら出資して体温計を製造する会社を設立したこともあったと時松さんは語る。赤線検温器株式会社として設立したその企業は、テルモ株式会社と名を変え令和のいまも残っている。
人に熱と誠があれば、何事も達成する。
とは博士が後人に残した訓示である。
新千円札の肖像で出会う厳しい表情は、疾病に立ち向かう自らを鼓舞し、律してきたその眼差しなのだろう。
小国杉の魅力を全世界に発信 長く続くものづくりを目指して
南小国町に事務所を構える株式会社Foreque(フォレック)は、新しいプロダクトを発信し、地元で生産されるブランド杉である小国杉の魅力を全世界に届ける会社だ。
Forequeの事業はインテリアライフスタイルブランド「FIL(フィル)」を立ち上げたり、「喫茶 竹の熊」を営むなど多岐にわたるが、会社設立の思いについて、共同設立者であり、ブランドマネージャーの穴井里奈さんに話を聞かせていただいた。
「夫とともに会社を立ち上げたのは2016年の6月でした。その年の4月に熊本地震が起きたので、こういう時こそ地域の光のような存在になりたいと思ったんです」
里奈さんの夫、穴井俊輔さんは南小国町の出身で、実家は製材所を営んでいる。夫妻は2011年の結婚を機に東京から南小国町に戻り家業を継ぐことを考えていたが、「林業は難しい時代になってきている」と感じ、新しいことを始めようと話し合った。
「南小国町には黒川温泉があって、年間100万人ほどの観光客が訪れます。そのお客さんたちに、小国杉でつくったものを持ち帰ってもらえないかと考えました」
建築だけではなく、他のところでも小国杉を活用できないか。
「長く続くものをつくる」
という一心で新しい事業を切り拓いていった。
東京在住の家具デザイナーとタッグを組んでつくったFILの家具は、世界三大デザイン賞の一つである「iFデザインアワード」を受賞。Foreque創業当初からオリジナル商品として展開しているコースターも、墓石を彫るレーザーカットの技術を取り入れ、人気を博している。
また、里奈さんが自ら試作を繰り返し、時間をかけて商品化したエッセンシャルオイルは、抽出専用の機械を導入して小国杉でしか出せない香りになった。
2023年にオープンした「喫茶 竹の熊」は「九州観光まちづくりAWARD2024」で大賞を受賞。今秋には小国杉を使用して建てたゲストハウスのオープンを予定している。
「杉の学術名は『クリプトメリア・ジャポニカ』といいますが、日本語訳すると、『隠された日本の財産』になるんです」
未来を見据え、小国杉の植樹を続けてくれた先人の想いに報いたい。南小国町にしかない「財産」を多くの人に知ってほしい。そんなまっすぐな思いが里奈さんの言葉から伝わってきた。
濃厚な緑と黒川温泉に癒やされた小国郷散策も、終わりが近づいてきた。この旅では「財産」について考えさせられた。「財産」はどこかで偶然手に入れるものではない。その人が持っているものを根気よく磨き上げ、それがいつしか財産になっていくのだと気づかされる。
「また遊びに来ます。その時はゲストハウスに泊まらせてください」
「はい、ぜひ。お待ちしています」
手を振って別れを告げながら穴井夫妻の挑戦を称え、さらなる大躍進を心から祈る。
ここまで書いてふと、博士の言葉を里奈さんに伝えたくなった。
人に熱と誠があれば、何事も達成する。
台風時には事前に保安停止 五感を使って点検を実施
阿蘇おぐにウィンドファームの風車5基は、阿蘇くじゅう国立公園内に立っていた。標高約1,100m。園内には地元の牧野組合が管理する黒牛、あか牛がのんびり草を食(は)み、牧歌的な景色が広がる。
「この辺りは周りに障害物がないので、比較的素直な風が吹きます」
小国事業所の佐藤藤雄所長に現地を案内してもらいながら、この土地での風力発電について話を聞かせていただいた。
「この場所は最近、台風の通り道になっているんです。なので台風の予報が出たら、風車を事前に保安停止することもあります。だいたい風速20m/秒を超えたら停めるようにしています」
モニターで現地の風速を監視し、台風でなくても風速30m/秒を超える強風だと自動的に停止する、と佐藤所長が説明してくださる。
点検は月に1回。それ以外にも6カ月点検、1年点検を実施する。
「ハブやナセルの点検では、油漏れがないかなどをチェックします。目で見て、手で触れて、匂いをかぎ、五感を使って確認しています」
ハブとは風車の羽根を固定している中心部位、ナセルは地面から垂直に立つタワーに繫がっている部位のことで、地上67mに位置するハブやナセルまではタワーバイク(昇降機)を使い、さらに自力で10mほど上がるそうだ。
私にとって風力発電所の見学は、こちらで7カ所目になる。それだけ行っていたら、なんでも知っているのでは、と思われるかもしれない。でも毎回見学するたびに知られざる話を伺い驚くばかりである。つまり発電所の管理は、地域に合わせた運用や多くの業務があるということなのだろう。夏場の点検は暑さとの闘いでもあると聞き、職員の方々への敬意と感謝が深まる見学となった。
阿蘇おぐにウィンドファーム
所在地:熊本県小国町・南小国町
運転開始:2007年3月
発電所出力:8,500kW
(1,700kW × 5 基)

PROFILE
藤岡 陽子 ふじおか ようこ
報知新聞社に勤務した後、タンザニアに留学。帰国後、看護師資格を取得。2009年、『いつまでも白い羽根』で小説家に。2024年、『リラの花咲くけものみち』で吉川英治文学新人賞受賞。京都市在住。最新刊は『春の星を一緒に』(小学館)。

