生産者と消費者を結ぶ高品質のチョコレート
田口 愛

Opinion File

現在の包装のデザインは、ガーナの伝統的な色遣いや柄で活力あふれる雰囲気を伝えられるよう意識したものを採用。

学生起業のきっかけは大好きなチョコレート

日本では、定番人気のおやつとして、またケーキの原材料や山歩きの携帯食として、幅広い年齢層に愛されているチョコレート(※1)。近年は、カカオの健康効果が広く知られるようになったこと、またチョコレートのプレミアム化(※2)が進んだことによって、健康食や贈答品として消費量はさらに増えている。

そんなチョコレート業界に革命を起こしているのが、「MAAHA chocolate(マーハチョコレート)」というブランドを立ち上げたMpraeso(エンプレーソ)合同会社CEOの田口愛さんだ。

田口さんが、チョコレートと出合ったのは幼児期に曾祖父の家に遊びに行った時。キラキラした包み紙に包まれたチョコレートをもらい、大好きになった。

「私にとって、チョコレートはおいしくて、素敵な食べ物です。受験や発表会など、元気を出して頑張らなければならない時、チョコレートを食べる習慣ができていました」

緊張する場面で、心をほぐし勇気をくれるチョコレート。田口さんは、チョコレートがどんなふうにつくられているのか知りたいと思った。故郷の岡山県は、野菜も果物も育てた人がわかる環境だったが、チョコレートだけは謎だったからだ。

「調べてみると、チョコレートの原料はカカオ豆であること、日本に輸入されるカカオ豆の約80%はガーナ由来であることがわかりました。また、自分と同じような世代の子どもが働く、いわゆる児童労働が問題になっていることも知りました。そこで、ガーナに行って、自分の目で現場を見たいと思ったのです」

2018年、19歳の大学生だった田口さんは、念願のガーナに初渡航。衝撃だったのは、カカオ豆をつくっている現地の人々がチョコレートを知らないことだった。

「ジャングルのようなカカオ生産地の村には、外国人はいません。『どこから来たの? 何で来たの?』とみんな興味津々でした。『チョコレートが好きだから、来たんだよ』と返事をしたら、『チョコレートって何?』と。カカオ豆を生産しているのに、それからつくられるチョコレートのことをまったく知らなかったんです」

ガーナでは基本的に、政府が一括して農家からカカオ豆を買い上げ、ヨーロッパをはじめ、海外に輸出している。カカオ豆は消費国で加工され、チョコレートとして流通する。ガーナでは、一部のスーパーマーケットでヨーロッパから逆輸入されたチョコレートが販売されているものの、現地の人々にとって身近な食べ物ではなかったのだ。

田口さんは、ガーナの人々にチョコレートを見せたいと考え、YouTubeでつくり方を調べ、チョコレートをつくってふるまった。すると、みんなが驚き、そして喜んでくれた。中には、「これまで、こんなにおいしいものを食べたことはない」と感激したお年寄りもいたという。

「ガーナの人々は、カカオ豆をつくっているのに、チョコレートを知らない。逆に、日本の人々にとってチョコレートは身近だけど、カカオ豆については知らない。原材料の生産者と消費者のギャップを何とか埋められないかと考えました」

そうした思いが、起業に結びついた。帰国後、チョコレートづくりのワークショップやショコラティエ(※3)との話し合いなどを重ね、海外の銀行やチョコレート企業でのインターンなどを通じてソーシャルビジネスを学んだ。こうして起業家としての田口さんの冒険が始まった。

カカオの実。ガーナはカカオ豆の輸出第2位の生産量を誇る。
カカオ豆は、乾燥や発酵など多くの過程を経てチョコレートの原料となる。

SNSを駆使した新時代の起業と事業拡大

田口さんがまず取り組んだのは、品質のよいカカオ豆の輸入だった。カカオ豆は、ガーナ政府がカカオ農家から1kgあたりいくらという形で買い取るのが基本だ。重さが基準なので、農家にとっては味や風味は二の次になり、品質のよい豆を工夫して育てようという意欲は育ちにくい。田口さんはそこから変えようと考えた。

「生産者の皆さんには、よい品質のカカオ豆を生産すれば、高く買ってもらえることを理解してもらうことが大切でした。日本のショコラティエの方々は、『品質のよいカカオ豆ならぜひ使いたい』という声が多くありました。だから、実際にチョコレートを食べてもらい、日本の消費者の好みや高品質の豆を生産してほしいと思ったのです」

田口さんは、現地で知り合った様々な人のつてを頼り、ガーナ政府関係者とも交渉し、高品質の豆を手に入れる方法を模索した。一方、日本では、SNSでの周知活動を展開。こうした田口さんの一つひとつの行動が実を結び、20年、ついにチョコレートのオリジナルブランド「MAAHA chocolate」の立ち上げにこぎ着けた。「MAAHA」とは、ガーナの言葉で「挨拶」を意味する。

「当時、私は学生だったので社会人としての経験もなく、製菓業界に詳しくもなかったのですが、すでにクラウドファンディングやSNSなどの仕組みがあったおかげで、事業をスムーズに立ち上げられました。知らないことだらけだったのもよかったのかも。目標達成までに、こんなにも壁を乗り越えなければならないと知っていたら、早々に挫折していたかもしれません(笑)。困った時には、知り合った様々な人からアドバイスしてもらえたので、目の前の壁を少しずつ乗り越えてこられたのだと思います」

日本では、田口さんのSNSでのつぶやきに百貨店のバイヤーが興味を示した。すぐさまデパート催事への出店が決まり、21年のバレンタイン商戦で、一学生起業家が生み出した無名のチョコレートは、世界の名だたるチョコレートブランドとともに陳列された。

クラウドファンディングやSNSを駆使した若い世代による起業は、新しい時代の到来を感じさせる。しかし、田口さんは、自身の会社をいわゆる「スタートアップ企業(※4)」とは思っていないという。

「大きなビジネスを展開したいとか、企業として急成長したいというようなことは最初から望んでいません。ただ私が大好きなチョコレートを通して、カカオ豆農家と消費者をつなげたい、架け橋になりたいという思いが少しずつ形になっただけなのです」

初めてガーナを訪れた時も、事業を拡大していく中でも、田口さんの信念がぶれることはなかった。一方、ガーナへの渡航が重なるにつれて、ガーナの人々に対する意識や視点は変化してきたという。

「最初は、児童労働の問題やフェアトレードを意識していました。児童労働もフェアでないトレードも、本来、あってはならないものですから。初めは何とかしなくてはと思い込んでいたのですが、ガーナの人々の『我々は施しを受けたいわけではない。高品質のカカオ豆をつくっているという誇りを持ちたい』という思いを知り、その意に沿った活動が必要だと考えました」

電気も水道もガスもない暮らし。日本とガーナでは、時間の感覚も、仕事に関する考え方も違う。マラリアなどの病に苦しんだこともあるが、田口さんは現地の人々の暮らしや考え方を尊重し、少しずつなじんでいった。

現在、田口さんは高品質のカカオ豆を輸入し、日本で加工して販売している。SDGsの取り組み例としてマスコミに取り上げられることも多いが、田口さんは本当においしいものをつくることが事業継続につながり、結果として生産者のためになると考えている。

「高品質のカカオ豆は、風味が豊かで、味に深みもあって香料などを入れなくてもそれだけでおいしいのです。だから、我が社のチョコレートは、基本的にカカオ豆と砂糖のみでつくっています。私が特に好きなのは、『カカオテリーヌ』です。カカオ豆に埋もれたいと思いながら、深夜に試作を重ねているうちにできたレシピです」

一口食べれば、カカオ豆本来のピュアな風味と香りが口の中いっぱいに広がる……。なるほど、人気が高いのもうなずける。田口さんの言う通り、消費者がリピートしてくれる本物こそが、SDGsの王道なのだ。

チョコレートのほかにもおいしいものを届けたい

現地での暮らしになじんでいる田口さん。今では「ガーナに帰る」と表現することもあるという。

現在、日本とガーナを行ったり来たりしながら、事業を進めている田口さん。ガーナでの加工・製造の実現を目指して建設中の工場がもうすぐ完成する。

「カカオ豆は農作物ですから、新鮮なうちに生産地で加工するのが望ましいのです。ゆくゆくは、チョコレート消費大国(※5)がひしめくヨーロッパでも販売したいですし、アジアにも輸出したいと思っています。また、日本での店舗販売も視野に入れています」

ガーナで加工・製造ができれば、雇用の創出にもつながり、生産者へのお金の配分を増やすこともできる。

「100円で売られているチョコレートを例にすると、生産者への還元は2〜3円ぐらいで、80%以上は加工・販売業者に入るのです。ガーナでの加工・製造を実現できれば、生産者の取り分も増やせると思います」

今後も、生産者と消費者を結ぶ商品づくりをしていきたい。その思いを胸に、様々な事業展開を思案中だ。例えば、砕いたカカオ豆やクラフトコーラ(※6)の原料となるコーラナッツなどを商品化することや、ガーナの新鮮な果物をドライフルーツにして輸出すること、さらには、コーヒー豆など日本からは生産者が見えにくい農産物と日本の消費者を結ぶビジネスなども検討している。

「私は食いしん坊なので、おいしいものをお客様に届けたいと思っています。例えば、カカオ豆を砕いた調味料。炒め物や和え物に使うと、いつもの味とは違うおいしさを味わってもらえると思います」

田口さんのアイデアはつきることがない。MAAHA chocolateのキャッチフレーズは「境界線を溶かすチョコレート」。現地の人々と分け隔てなくつきあえる田口さんなら、境界線を感じさせない魅力あふれる商品を今後も生み出していくに違いない。

取材・文/ひだい ますみ 写真/ご本人提供

KEYWORD

  1. ※1チョコレート
    2020年の1世帯当たり年間支出金額は6,806円。2010年と2020年の世代別比較では、どの年齢層でも増加がみられ、特に60代の伸長率では211%となっている(出典:総務省「家計調査」2人以上の1世帯当たり年間チョコレートの支出金額)。
  2. ※2チョコレートのプレミアム化
    近年、カカオ豆からチョコレートになるまで一貫して製造を行うBean to Barの考え方が普及し、高付加価値・高単価商品が増加中。
  3. ※3ショコラティエ
    チョコレートから様々な菓子やデザートをつくるチョコレート専門の菓子職人。
  4. ※4スタートアップ企業
    まだ世に出ていない、新たなビジネスモデルを開発する企業。人々の生活や社会を変革するために立ち上げられ、急成長を伴うのが特徴とされる。
  5. ※5チョコレート消費大国
    2019年のチョコレートの国内消費量ランキングは、第1位ドイツ745,305トン、第2位イギリス524,685トン、第3位フランス261,260トンなど、ヨーロッパ諸国での消費が多い(出典:日本チョコレート・ココア協会「世界主要国チョコレート生産・輸出入・消費量推移」2019より)
  6. ※6クラフトコーラ
    「職人がつくるコーラ」「手づくりのコーラ」のこと。大手飲料メーカーが大量に生産するコーラとは違い、「独立性」「伝統的」「地域性」などの特徴がある。

PROFILE

田口 愛
Mpraeso合同会社CEO

たぐち・あい
1998年、岡山県生まれ。国際基督教大学在学中、ガーナを訪れたのをきっかけに、チョコレートビジネスに関わることに。2020年、Mpraeso合同会社を起業。翌2021年にはチョコレートのブランド「MAAHA chocolate」を立ち上げる。同年、ニューズウィーク日本版の「世界に貢献する日本人30人」に選ばれた。