J POWER 電源開発

WORK

PHASE.1

万難を排してわが国一流の人材を集めよ

その名の通り、日本中にパワーをお届けしながら60年以上にわたって事業を展開してきたJ-POWER。そのルーツは1952(昭和27)年にさかのぼります。
そもそも東京で人々に電気が供給されるようになったのは1894(明治20)年 。以来、重工業の台頭による産業の発展と歩調を合わせる形で供給量は増えていきました。ところが大正末期から昭和にかけて日本経済が低迷すると電力需要は伸び悩み、電力は供給過多の時代となります。
そして迎えた第二次世界大戦と、終戦。日本の産業施設は戦争によって徹底的に破壊され、その復興のために電力の確保が急務となりました。しかし、水力発電設備、火力発電設備ともに著しく老朽化の進んだものがほとんどで、日本の復興を支えるには心許ない状態でした。そこで政府は経済復興の柱として次々と長期電源開発計画を策定したのですが、これに要する膨大な設備資金は、発足間もない9つの地域電力会社にとって容易に調達できる額ではありませんでした。同時に、大規模開発に必要な技術力も不足していました。
そこで大規模な電源(=発電所)開発のために政府資金を投じなくてはならないとの気運が高まり、1952(昭和27)年に「電源開発促進法」が制定されたのです。これによって、電源の開発と9電力会社への電力の卸売りを行う「電源開発株式会社」すなわち現在のJ-POWERが誕生したのでした。
発足に際しては「万難を排してわが国一流の人材を集めよ」との指示が出されことからも、いかに大きな期待を背負っての旅立ちだったかがうかがえます。

PHASE.2

J-POWERの“原点”、佐久間ダムの建設

静岡県と愛知県にまたがる天竜川中流に建設された佐久間ダム(浜松市)は、わが国屈指の巨大ダムであり、戦後日本の復興を象徴する建造物としても知られています。それは同時にJ-POWERにとって“原点”といえる存在であり、日本の土木史においても“金字塔”と讃えられるダムです。
J-POWERは、発足したばかりの9電力会社が火力を重点的に開発するのに対し、水力でそれを補完するという位置づけにありました。そこで地形が良好で交通の便もよかった天竜川中部に大規模なダムを建設することが、J-POWER発足後の最初の大事業として行われることになったのです。
しかし、これは当時の日本の土木技術では極めて難しいプロジェクトと考えられていました。しかも、完成まで10年は必要とされるところ、急増する電力需要に応えるという国家的命題により、一刻も早い完成が求められました。そこで不可能を可能にすべくとられた手段が、国際入札によって米国から大型土木機械を、その技術者とともに導入するという手法でした。当時、国内の他のダムでは大型重機の機械化工法が導入されていましたが、日本人の操作技術が追いついておらず、機械化によるメリットを最大限に活かせていなかったからです。
戦後間もない日本において、このような国際入札という手段は極めて大きなチャレンジでした。しかし、このチャレンジはしっかりと実を結び、3年という驚異的に短い期間でダムを完成させることができたのです。設立されて日も浅いJ-POWERという会社がそれを成し遂げたことは、奇跡とまでいわれました。
佐久間ダムの建設が始まった頃の日本はまだ戦後の荒廃から脱しきれず、日本全体が自信喪失の状態にありました。そんな中、わずか3年で高さ155m、頂長293mという世界に誇るべき巨大ダムを完成させたことは、日本全体が大きな自信とパワーを取り戻すきっかけとなったのです。当然、日本の土木技術の近代化にも多く貢献し、あらゆる面で記録的であったこの工事は、まさに金字塔となったのでした。
ちなみに経済白書が「もはや戦後ではない」とうたったのは、佐久間ダムが完成した1956(昭和31)年のことでした。

PHASE.3

戦後日本の復興を勢いづかせる

1956(昭和31)年に運転を開始した佐久間発電所。当時の年間発電量13億kWhは、逼迫していた電力需給の緩和に大きな力を発揮しました。古来より豊富な水量を有しながらも、当時の土木技術では困難とされてきた地点で大規模水力発電所を開発できたことは、まさに戦後日本の復興を勢いづかせる力となりました。
また、このような大規模水力発電所の開発によって、火力発電を電力需要の高まる時間帯に稼働させ(ピークロード電源)、燃料費のかからない水力発電を可能な限り稼働させる(ベースロード電源)ことができる様になり、安価・安定的な電力供給が実現できるようになりました。
一方で本格的な戦後復興の波に乗った日本経済は、さらに多くの電力を求めるようになりました。そうした電力需給の改善に極めて大きな役割を果たしたのが、奥只見(新潟県)・田子倉(福島県)・御母衣(岐阜県)の大規模水力発電所の建設です。この3つのダムと発電所のスケールは、いずれも佐久間と肩を並べるもので、その頭文字から「OTM」とも呼ばれています。
佐久間ダムの天竜川と並んで水力発電に適した水系とされていた只見川は、わが国屈指の豊かな電源地帯として期待されていましたが、豪雪地帯であることや交通の難所であることなどから発電所の開発は進んでいませんでした。J-POWERはこの只見川に奥只見と田子倉の両ダム・発電所を建設することを決めます。
奥只見は冬季には氷点下20度近くにもなるという酷寒の地で、雪崩の危険とも隣り合わせの難工事となりました。そのため工事には6年もの時間を要しました。一方の田子倉は用地補償交渉が難航し、豪雨で機材輸送ルートが寸断されるなどのアクシデントも加わったものの、奥只見に並ぶわが国屈指の水力発電所として1959(昭和34)年に完成しました。
そして「OTM」のM、すなわち御母衣については、地盤が弱くても建設が可能なロックフィルダム(岩石や土を積み上げてつくるダム)による建設が行われました。これはダムの型式の多様化の道を開くという意味でも意義深いものでした。
この御母衣によって「OTM」の3大発電所が完成。日本の電力需給は大きく改善され、間もなくやってくる高度経済成長期へ向けて大きな弾みをつけることになりました。